田部井淳子さんの登山人生から生き方を学ぶ
田部井淳子さんの人生は順調だったように見えますが、67歳のときに
乳癌の手術をしています。グルジアで登山中に胸に痛みを感じました。
体を薄いコットンで拭いていたときに胸の谷間が打ち身のように
ポコッと腫れているのに気づいたのです。
診察を受けてその場で入院。「あーきたな」と思ったそうです。
「きたものはとらなきゃ」と思ったのが田部井淳子さんらしいところ
でしょうか。しっかりとってもらって乳房温存を選びました。転移が
なかったのが幸いでした。
乳癌の手術後、退院して1週間で抜糸もしないうちに山に登りました。
バルト三国の500メートルくらいの低山です。登山が田部井さんを
乳癌から救ったのでした。
田部井淳子さんが山で食べるおいしいもの、それはフキ味噌です。
蕗味噌を冷凍しておいて熱湯を注いで作る味噌汁は大好評だそうです。
こどもを山好きにするにはきれいな風景を見せて楽しい経験をさせる
ことです。田部井淳子さんが10歳のときの那須連峰の登山で山のとりこ
になったように、登山の経験をさせることが大切ですね。
NHK「スタジオパークからこんにちは」での「日頃どんな運動を
していますか?」という質問に「テレビの天気予報を見ながらでも、
信号待ちをしているときでもつま先立ち。朝起きたらスクワット」と
答えていました。
山の環境を守るために女性用の登山用携帯トイレを持っていくこと。
ザックの中のお弁当箱の隣に入れても臭わないそうです。
古希を迎えて若々しく明るい笑顔を絶やさない田部井淳子さんの
耳元の赤いイヤリングがおしゃれでした。「人生いいなと思える瞬間を
重ねていきたい」「一歩一歩重ねていけばいいことがあります」という
田部井さんの言葉には重みがありました。いつまでもお元気でご活躍
くださいね。
田部井淳子さんのすばらしい生き方はこちらからどうぞ
田部井淳子さんの登山入門
田部井淳子さんは古希を迎えられて、ご自身が登山を楽しみながらも
後進の指導も熱心に行っています。女性だけの山の会「MJリンク」を
設立しました。MはMountain、Jは女性です。マイケル・ジャクソンでは
ないそうです。
MJリンクのモットーは明るく、ポジティブに悲壮感なく山を楽しもう!
です。楽しく安全な登山ならわたしも行きたいなと思います。現在
NHKの「趣味悠々」の番組で「田部井淳子の登山入門」を放映中です。
長野県の金曜日夜のテレビ番組「知るしん。」で放映された槍ヶ岳縦断
「あぁ絶景! 雲上のアドベンチャー」はすばらしい内容でした。
23日間一日も山を下りずに田部井淳子さんと共に北アルプスの南北
60キロの縦走を完遂したNHKの内田勝康キャスター(46歳)に大きな
拍手です。生活ほっとモーニングに出演していたときの内田勝康
キャスターを知っているので、山男に変身にびっくりです。
田部井淳子さんが登山でもっとも重視するものは次の3点です。
登山靴とザックと雨具です。一番大切なのは登山靴です。専門店で
シューフィッターに相談して選びます。
ザックは自分の背丈に合ったものを選ぶこと。雨具は登山には必携
です。雨具は高価でもしっかり防水がしてあって、撥水がよくて雨が
しみこまないものを選ぶこと。良い雨具は防寒具にもなるし、霧の
ときも身を守ってくれます。
山に登ると元気になれると田部井さんは言っています。山の頂に立てば
その向こうにはもっと楽しく魅力的な世界が広がっています。わたしも
あまり無理をしないで登れる山に登りたくなってきました。田部井さんの
記事は続きます。
信州・安曇野ちひろ公園の秋も楽しんでくださいね♪
田部井淳子さんは「登る女」の先駆者です
田部井淳子さんは女性登山家のパイオニアとして有名ですが、
田部井淳子さんをひと言で表すと「登る女」だそうです。
NHKテレビの「スタジオパークからこんにちは」に田部井さんが
出演なさっていました。田部井さんは1939年福島県の三春町生まれ、
わたしの義理の姉と三春小学校で同級生だったのです。
田部井淳子さんの「登る女」人生のきっかけは小学4年(10歳)
のときのワンピース姿での那須岳登山でした。虚弱児で扁桃腺を
はらして40度近い熱をよくだしていて、運動はさっぱりダメな
子どもでした。
学校での運動は苦手でしたが、登山は人との競争でないのが
よかったそうです。ヨーイドンの競争ではない10歳のときの
登山経験で田部井さんは山のとりこになりました。
25歳で谷川岳に登りました。そこで出会ったのが2歳年下の
ご主人の田部井政伸さんです。田部井政伸さんはロッククライミングを
やっていました。小豆の缶詰に雪を入れてくれたのがご主人で
ものすごくおいしかったそうです。
35歳で女性の世界初のエベレスト登頂達成。田部井淳子さんの
名前は世界に広まりました。そのころの酸素ボンベの重さが7.5キロ。
2本で15キロの酸素ボンベに荷物を加えて20キロを背負っての
エベレスト登頂でした。
エベレストの頂上に到達して思ったことは「あ〜これ以上登らなくて
いいんだ」だったそうです。エベレストからチベットを見た感動は
忘れられないそうです。当時はチベットには入国できなかったのです。
53歳のときには女性初の7大陸最高峰の登頂者となりました。現在の
田部井淳子さんは古希を迎えてますます元気に登山を楽しんでいます。
田部井さんの登山術や生き方については続編で書きますね。
田部井淳子さんは山からの贈り物で元気に人生を送っています。
私のもうひとつのブログ「男の料理はビタミン愛がいっぱい♪」も
読んでくださいね。
田部井淳子さんをひと言で表すと「登る女」だそうです。
NHKテレビの「スタジオパークからこんにちは」に田部井さんが
出演なさっていました。田部井さんは1939年福島県の三春町生まれ、
わたしの義理の姉と三春小学校で同級生だったのです。
田部井淳子さんの「登る女」人生のきっかけは小学4年(10歳)
のときのワンピース姿での那須岳登山でした。虚弱児で扁桃腺を
はらして40度近い熱をよくだしていて、運動はさっぱりダメな
子どもでした。
学校での運動は苦手でしたが、登山は人との競争でないのが
よかったそうです。ヨーイドンの競争ではない10歳のときの
登山経験で田部井さんは山のとりこになりました。
25歳で谷川岳に登りました。そこで出会ったのが2歳年下の
ご主人の田部井政伸さんです。田部井政伸さんはロッククライミングを
やっていました。小豆の缶詰に雪を入れてくれたのがご主人で
ものすごくおいしかったそうです。
35歳で女性の世界初のエベレスト登頂達成。田部井淳子さんの
名前は世界に広まりました。そのころの酸素ボンベの重さが7.5キロ。
2本で15キロの酸素ボンベに荷物を加えて20キロを背負っての
エベレスト登頂でした。
エベレストの頂上に到達して思ったことは「あ〜これ以上登らなくて
いいんだ」だったそうです。エベレストからチベットを見た感動は
忘れられないそうです。当時はチベットには入国できなかったのです。
53歳のときには女性初の7大陸最高峰の登頂者となりました。現在の
田部井淳子さんは古希を迎えてますます元気に登山を楽しんでいます。
田部井さんの登山術や生き方については続編で書きますね。
田部井淳子さんは山からの贈り物で元気に人生を送っています。
私のもうひとつのブログ「男の料理はビタミン愛がいっぱい♪」も
読んでくださいね。

